ヨル
つぶやきです
自分の幸せを諦めた人は、心のどこかで「誰かが自分と同じように不幸であれば救われる」と思ってしまうのかもしれない。
それは意識的なものではなく、無意識のうちに何らかの感情が湧いてくる場合が多いのだと思う。
誰かの幸せが素直に喜べなくなる。
挑戦していたり、うまくいってる話を聞くと、「うまくいきっこない。きっと裏がある」と考えて、他人の不幸を期待する。
他人との比較はしないに限る。本当の幸せを遠ざけるだけ。
好きなことを一つやってみる。
自分の感情に正直になってみる。
自分が機嫌良くいられる環境を探す。
他人の不幸を求めるのではなく、自分の幸せを諦めないこと。
そこに心を向けたとき、負の感情を忘れられる。
私自身も「祖父母が近くに住んでて協力的だったら、私の働き方はもっと違ったものになったのに」と、他人を羨むことがあった。
母親になったから仕事100%じゃだめだとか、もう年だからこういう仕事はできないとか、言い訳したくなる時も多々あったけど、最近は
「それを理由にあきらめるのはもったいないよな〜」と思うようになった。
もちろん、「子どもが幸せなら十分」と心から納得しているなら、それも素晴らしい。
しかし、自分が幸せになることをあきらめた人が、他人に対して「子どもがいるくせに」とか「もうババアなのに」と、誰かを誹謗中傷するのは違う。
他人を否定して得られる優越感はほんの一瞬の満足感でしかなく、意味のないもの。
自分の幸せを見つける努力をする方が、きっと豊かな人生に繋がる。
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