第6話 特別

不倫と呼ぶには


黒田のパーソナルトレーニングを受けるようになって、二か月が過ぎた。
週に一度。予約が取れれば、二度。

最初は、ぎっくり腰の治療で通い始めた整骨院だった。
そこには、トレーニングジムのような器具も揃っていた。
オーナーの黒田は、施術とトレーナーの二足のわらじで、毎日忙しそうだった。


最初は筋肉痛がつらかったが、だんだん軽くなっていった。
体重は、まったく減らなかった。
アラフォーで、もともと少しずつ増えていた体だ。
それでも、運動をすると、気分がよかった。
夜勤のある仕事で、寝つけない日も多かったが、黒田のトレーニングのあとは、よく眠れた。

少しずつ、本当に少しずつ、黒田との会話が増えた。
料理が好きなこと。
少し潔癖なこと。
三十七歳で、私と同い年で、本人いわく、独身だった。

その頃、世界中で、感染症のニュースが流れていた。
やがて緊急事態宣言が出て、黒田の整骨院も、しばらく休業することになった。

その日、私は夜勤明けだった。
黒田は、来週から休業になります、と言った。
二人とも、マスクをつけていた。

「そうなんですね。残念です。でも、仕方ないですよね」
「……来ていいですよ。どうせ僕は、毎日来てトレーニングしているので」
「え?」
店の中は、静かだった。
機械の音も、人の声もしない。
黒田のマスクの上の、目だけが、こちらを見ていた。
「藤崎さんの都合のいい日で。何時でもいいです。合わせます」

どうしてそこまでしてくれるんだろう、と思った。
でもすぐに、常連さんにはみんな、こう言っているのかもしれない、と考えた。

私だけが特別なわけがない。
勘違いするな。
そう、頭の中でくり返した。

それでも、「いいんですか、すごく嬉しいです」と、素直に伝えた。
そして、四日後の十一時に予約した。

外に出ると、街は静かだった。
みんなが、家にこもっていた。

コメント