第7話 静寂

不倫と呼ぶには

約束の日が来た。


外は、静かだった。
緊急事態宣言が出て、街から人が消えていた。
開いている店は、ほとんどなかった。
みんなが、家にこもっていた。

黒田の整骨院は、普段、窓から中の様子が見えるようになっていた。
でも、その日はすべてのブラインドが閉められ、中はわからなかった。

インターフォンを鳴らす。
「どうぞ」と、いつもの声がした。

中に入ると、黒田が一人、器具の前に立っていた。
二人とも、マスクをつけていた。

「すみません、こんな時に」
「いえ。どうせ僕は、毎日来てるので」


特別に来させてもらっているのに、黒田はこの日も、私のためにメニューを組んでくれた。

いつもの黒田は、時間にきっちり動く。
次の予約が詰まっているからだ。
でも、その日は、いつもよりゆっくりしたペースだった。


「藤崎さん、体力、ついてきましたね」
「そうですか」
「はい。最初の頃は、この重さで5回、上がりませんでした」

最初の頃。
黒田が、私の最初の頃を覚えていることに、少し驚いた。
顔には出さないようにした。

トレーニングのあとはストレッチをしてくれた。
その日は、いつもより長い時間に感じた。
天井を見ていた。
ブラインドの閉まった店の中は、昼なのに、少し暗かった。
時間が、止まっているみたいだった。

「また、いつでも来てください」
黒田が言った。
「いいんですか」
うれしくて、つい声が弾んだ。
そのことに、自分で少し戸惑った。

会計をしようとすると、黒田が言った。
「休業中なので、お代はいりません」
「いえ、そういうわけには」
プロに、ただでみてもらうわけにはいかなかった。
いつも通りに、と言って、私はお金を払った。
黒田は、そうですか、とだけ言った。

帰り道、黒田の「どうせ僕は毎日来てるので」という言葉を、何度か思い返した。
なんで私に、来ていいと言ってくれるんだろう。
考えて、やめた。

街は、やっぱり静かだった。
誰もいない道を、一人で歩いた。
自分だけが、世界から少しはみ出しているような気がした。

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