約束の日が来た。
外は、静かだった。
緊急事態宣言が出て、街から人が消えていた。
開いている店は、ほとんどなかった。
みんなが、家にこもっていた。
黒田の整骨院は、普段、窓から中の様子が見えるようになっていた。
でも、その日はすべてのブラインドが閉められ、中はわからなかった。
インターフォンを鳴らす。
「どうぞ」と、いつもの声がした。
中に入ると、黒田が一人、器具の前に立っていた。
二人とも、マスクをつけていた。
「すみません、こんな時に」
「いえ。どうせ僕は、毎日来てるので」
特別に来させてもらっているのに、黒田はこの日も、私のためにメニューを組んでくれた。
いつもの黒田は、時間にきっちり動く。
次の予約が詰まっているからだ。
でも、その日は、いつもよりゆっくりしたペースだった。
「藤崎さん、体力、ついてきましたね」
「そうですか」
「はい。最初の頃は、この重さで5回、上がりませんでした」
最初の頃。
黒田が、私の最初の頃を覚えていることに、少し驚いた。
顔には出さないようにした。
トレーニングのあとはストレッチをしてくれた。
その日は、いつもより長い時間に感じた。
天井を見ていた。
ブラインドの閉まった店の中は、昼なのに、少し暗かった。
時間が、止まっているみたいだった。
「また、いつでも来てください」
黒田が言った。
「いいんですか」
うれしくて、つい声が弾んだ。
そのことに、自分で少し戸惑った。
会計をしようとすると、黒田が言った。
「休業中なので、お代はいりません」
「いえ、そういうわけには」
プロに、ただでみてもらうわけにはいかなかった。
いつも通りに、と言って、私はお金を払った。
黒田は、そうですか、とだけ言った。
帰り道、黒田の「どうせ僕は毎日来てるので」という言葉を、何度か思い返した。
なんで私に、来ていいと言ってくれるんだろう。
考えて、やめた。
街は、やっぱり静かだった。
誰もいない道を、一人で歩いた。
自分だけが、世界から少しはみ出しているような気がした。


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