第2話 再診

不倫と呼ぶには

翌日は、日勤だった。

朝、布団から起き上がるのに、横向きになって、手をついて、息を止めた。それだけで額に汗がにじんだ。
顔を洗い、髪をひとつに結んで、化粧をした。二階は、まだ静かだった。
痛くて、最悪だった。それでも、行った。動けないわけではなかった。休むと、申し訳なさが先に立つ。

施設の朝は、いつも同じだ。おむつを替え、清拭をし、車椅子に移す。それを、何人ぶんも繰り返す。
移乗は、相手の身体を一度こちらに預からせて、持ち上げる。痛む腰をかばってそれをすると、田中さんが「すまないねえ、いつも」と言った。
「大丈夫ですよ。気にしないで」と私は言った。

別の利用者は、私の顔を見て「あんた、誰」と言った。三年、毎日のように顔を合わせている人だった。
「今日担当の、藤崎です」と答えて、車椅子のブレーキをかけた。

昼の休憩は、六十分。休憩室で食べていると、後輩の子が「腰、大丈夫でした!?」と訊いてきた。
「整骨院で診てもらって、だいぶ良くなりました」
そう答えた。本当は、まだ泣きそうなくらい痛かった。

午後になると、腰はさらに重くなった。それでも、定時まで身体は動いた。

家に着くと、もう暗かった。
夕飯を作って、テーブルに並べた。私は、台所で立ったまま、自分のぶんを食べた。

二十一時。
二階で、子どもたちが笑って、夫の低い声がそれをなだめていた。

去年、夫にほかの女がいると気づいてから、私は一人で寝るようになった。
もう、どうでもよかった。

その日もいつもと同じように、一階の和室で一人、冷たい布団にくるまった。

 

翌日。十一時に、整骨院の予約をしていた。

黒田の院は、いつも予約でいっぱいだった。腰や肩を診る施術と、身体づくりのトレーニング指導。その両方を一人でこなして、一時間ごとに客が入れ替わる。
それでも、施術のあいだは、いつも静かだった。客が院に入るのは予約の五分前から、と徹底しているようだった。施術中に、電話が鳴ることもない。

施術台に横になると、天井の木目が見えた。
黒田が腰に手を当てる。痛いところを探すのではなく、もう知っているような手つきだった。

「昨日の仕事、大丈夫でしたか」
「痛くて、泣きそうでした」
「三日目だと、まだつらいでしょう」
「はい……」
「峠は越えてます。あと一週間くらいで、だいぶ楽になると思います」

黒田の指が、腰の奥の固いところを押した。自分でも知らないうちに、そこはずっと、こわばっていたらしかった。

施術のあいだ、物音ひとつしなかった。
「ママ」「藤崎さん」。家でも、職場でも、私はいつも、誰かに呼ばれていた。たいてい、用があるときだけ。
ここでは、誰も、私を呼ばなかった。ただ、横になっていればよかった。

 

「念のため、もう一度くらい診ておきましょう」
帰り際、黒田が言った。
ちらっと見えた予約表は、どの時間も名前で埋まって、真っ黒だった。黒田は少し考えて、「三日後の十一時は、いかがですか」と言った。
翌日は日勤、その次は夜勤——三日後は、ちょうど夜勤明けだった。
「お願いします」

次の予約を取った。腰が、まだ痛かったから。

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