整骨院に通わなくなって、ひと月近くが過ぎていた。
腰は、もう痛くなかった。
家にいるあいだ、私はだいたい一人だった。
昨年、夫の不倫が発覚してから、夫は子どもたちにやけに優しくなった。
宿題をしていなくても、夜更かしをしても、何も言わない。
小言を言うのは、いつも私のほうだ。
歯は磨いたの。
明日の支度は。
——そう言うたびに、子どもたちの体は、自然と夫のほうへ傾いていく。
子どもたちはまだ小学生だ。
気づいていない。
気づかないまま、父親を選んでいる。
夫にとって、私の順番はいつもいちばん後ろだった。
義母や兄弟のほうが、私より上だ。
口に出されなくても、そういうことは伝わる。
夜になると、子どもたちは二階へ上がる。
夫も一緒に、二階で寝る。
私は一階の和室で、一人で布団を敷いた。
夫や子どもたちのいびきが聞こえないぶん、よく眠れた。
夜勤は、年々こたえるようになっていた。
三十七歳。
若いころは、明けてもそのまま夕方まで動けた。
今は、仮眠の取れなかった朝は、体の芯が重い。
腰はもう痛くない。
それなのに、もっと奥のほうが固まったまま、ほどけなかった。
不意に、黒田の声がよみがえった。
「体は、動かしておいたほうがいいですよ」
施術の合間に、そんなことを言っていた。
筋トレも見られますから、と。あのときは、ただうなずいただけだった。
体力をつけたい。
そう自分に言い聞かせて、私はスマホで予約のページを開いた。
ページは、ほとんど埋まっていた。
平日の昼も、夕方も、土日も。
空きを示す欄は、どこにもなかった。
あの人の院は、いつも混んでいる。
そうだった、と思い出した。
私はページを閉じかけた。
それから、メッセージの画面を開いた。
ひと月前のやり取りが、そのまま残っている。
最後の一通は、私の「ありがとうございました」だった。
少し迷って、書いた。
「体力をつけたいので、もし空いている枠があれば、トレーニングを受けたいと思っています」
送ってから、急に恥ずかしくなった。
返事は、思ったより早かった。
「来週の火曜、十一時なら空けられます」
空いています、ではなかった。
空けられます、だった。
そのときの私は、何も思わなかった。
ただ、よかった、と思っただけだ。
火曜の十一時。
夜勤明けの、翌日だった。


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